「お前のような愛想のない女は、犬とでも結婚しろ!」
満月の夜会で婚約を破棄された伯爵令嬢セシリア、十九歳。
凍りつく大広間――王妃陛下の足元から、巨大な黒犬が歩み出た。
「では、私ではどうだ」
「犬が喋りました」
「公爵だ」
「……明朝の散歩を終えてから、お返事に伺います」
黒犬の正体は、北方公爵ヴィルヘルム。
代替わりの呪いで、人に戻れるのは夜明けの鐘から一刻だけ。
ひと月以内に「自由な意思で」伴侶に選ばれなければ、公爵位まで失うという。
なのにこの犬公爵、まったく急かしてこない。
「断ってくれてよい。あなたの言葉は、あなたのものだ」
かくして始まる、犬の姿の求婚儀礼。
挨拶に来れば尻尾が花瓶を薙ぎ払い、
散歩に出れば「王都条例」で自ら引き紐を差し出し、
贈り物は宝石でも花でもなく、丈夫な散歩靴。
「尻尾が、回っておいでです」
「風だ」
「無風です」
毎朝の散歩と、丘の上の一刻だけの語らい。
犬より約束を守らなかった元婚約者を横目に、
わたしは少しずつ、「隣にいてください」を自分の言葉にしていく――。
急かさない公爵様(犬)と、急がない令嬢の、
満月までひと月の求婚儀礼ラブコメディ。