侯爵家に嫁いで五年、夫から贈られたのは「そんな手遊びはやめろ」という言葉だけだった。
リーゼロッテ・ヴァインフェルトの調香は、社交界では「夫人のお遊び」と呼ばれている。けれど王宮の薬務官だけは知っていた──彼女の香りは、毒の起源を一滴で見抜く。
夫が「離縁したいなら好きにしろ」と言い捨てたその日、私は迷わず離縁状を差し出した。
翌朝、屋敷の門前に立っていたのは、隣国・学術強国アルメリアの使者だった。
「王宮御用達調香師リーゼロッテ殿。陛下が、貴女を国の客人としてお招きです」
アルメリアでは今、原因不明の熱病が広がっていた。私が香炉に一滴を垂らした瞬間、誰もが探していた毒の正体が露わになる。
その頃、元・夫の領地では、同じ毒の予兆が現れ始めていた。彼にはもう、それを見抜ける者がいない。
──「お遊び」と呼ばれたものが、ひとつの国を救い、ひとつの家門を滅ぼす。
これは、ようやく自分の名前で生きはじめた、ある夫人の静かな話。