母は、私を産んだ夜に死んだ。
それから十七年、私の名前をやさしく呼ぶ人は、誰もいなかった。――神さまのほかには。
魔力ほぼゼロのお飾り聖女セラフィーナは、王家の都合で、北の氷の辺境伯のもとへ嫁がされる。三ヶ月以内に署名がなければ、死刑という条件つきで。
「不肖セラ、全身全霊をもって、北の辺境伯閣下のもとへ参ります」
……だって相手は、前世で何度も読み返した物語の、私の生涯の最推しなのだから。
けれど原作の閣下は、最後まで誰にも名前を呼ばせず、ひとりで峠に立ち、帰ってこない。
暖炉に薪を一本しかくべない城。九年、自分を許さずにいる辺境伯。娘の名を呼べない父親、言いかけてはやめる側近、鏡の中でしか生きられなかった兄。
だったら私は、床を磨いて、スープを運んで、ひとりずつ名前を呼ぶ。推しの隣に、座るために。
名前をひとつも忘れない神さまと、凍えた辺境伯と、お飾り聖女の、雪とスープと、じれじれの恋の物語。
※ハッピーエンドです。完結済