邪馬台国、それは本当に「邪馬台国」だったのだろうか。
中国史書には、「邪」「卑」「倭」といった、中華思想のもとで異民族を蔑視する文字が並ぶ。ところが後世になると、「台」の字が用いられるようになる。蔑称として記された国名に、尊ぶ意味を持つ文字が加えられるだろうか。私は、この一点に大きな違和感を覚えた。
さらに、現在の「大和」という表記も不可解である。
「大和」という文字が史料に現れるのは奈良時代であり、その表記が一般化するのは平安時代になってからである。しかし、それ以前から存在したはずの国が、なぜ「ヤマト」と呼ばれていたのか。その読みはどこから生まれたのか。この問いに、明確な答えは示されていない。
もし「邪馬台国」も「大和」も後世に整えられた名称だとしたら……では、この国は本来、何と呼ばれていたのだろうか。
本作は、神話と伝承、そして史実の狭間に残された数々の謎を手がかりに、日本という国の誕生を描く歴史長編である。
後に神として語り継がれた者たちは、決して超越者ではなかった。
愛する者を守るために戦い、国を築くために悩み、理想を追い求めながら傷ついていった人々。
神代とは、人が神へと変わっていく時代。生々しく、血生臭く、そしてどこまでも人間臭い。
これは、一人の英雄ではなく、人々が命を繋ぎ、神となり、やがて日本という国へ至る悠久の物語である。