時は1921年、ワシントン海軍軍縮会議。後の米国大統領にして弁護士のフランクリン・デラノ・ルーズベルトは、一人の静かな日本帝国海軍士官、東郷一成と出会う。
軍神・東郷平八郎の息子でありながら、1908年に日本の海軍兵学校ではなく、世界一の金持ち国家アメリカの海軍士官学校であるアナポリスを卒業し、セオドア・ルーズベルト大統領のグレートホワイトフリートにも乗って世界を一周して、その後日本海軍に入隊した男である。
英雄の息子という影を背負い、アナポリスで敵国の資本主義、合理主義をも学び尽くした男。
彼が懐に忍ばせていたのは、大砲でもなければ、新型魚雷でも航空機でもない。それは、国家の“任務”そのものを信用へと変える、悪魔的な妙案――「制度債」であった。
「通貨ではない。ただの“任務の記録”だ」
その一言から始まった静かなる革命は、やがて日本という貧乏国家の形を、根底から作り変えていく……