婚約破棄から三日後、イリナ・ラズリエフは憂鬱な気持ちで王宮舞踏会に出席していた。
ラズリエフ公爵家の一人娘として、婿養子を迎えなければならない立場のイリナ。しかし条件の良い令息はすでに婚約済みで、婿探しは難航していた。おまけに先日、元婚約者に「心に決めた方ができた」と婚約破棄されたばかり。今夜はただでさえ気が重いのに、よりによってその元婚約者が王女の隣に侍っている。
そんな最悪の夜に、イリナは衝撃の場面を目撃する。
ミラーナ第一王女が、婚約者のルカシュ・ヴォルコフ卿に婚約破棄を宣言したのだ。罪状は王家への不敬と職務上の不正行為。しかしイリナには、それが冤罪だとわかっていた。元婚約者の身辺調査の際に、王女の不正が芋づる式に出てきていたからだ。
誰も声を上げない。誰も助けに行かない。黒髪に赤い瞳——呪われた色と忌み嫌われる青年が、ただ一人で王女の言葉を受け止めている。
(頭にくる。それと……条件が、良すぎる)
義憤と打算、そして密かな乙女心に突き動かされたイリナは、広間の中央へ踏み出した。王女を完全に無視して、ルカシュの前に立って、こう言った。
「わたくしと、婚約していただけませんか」
かくして、イリナによる「全力のお迎え」が始まった。
海沿いの避暑地・ラズリア公爵領で、初めて誰かに丸ごと受け入れられたルカシュが少しずつ変わっていく。一方、王宮では婚約破棄の代償が静かに、しかし確実に積み上がっていく——。
これは、値踏みされ続けた青年が、初めて誰かに必要とされる話。そして、打算から始まった婚約が、本物になるまでの話。
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